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2006年2月16日(木)
からくり・・・・かな?

 からくりを楽しむ木のおもちゃがある。
手でハンドルを回すと歯車やカムなどの機構
で上の人形が動き出すといったものだ。木のおもちゃ
とりわけ手作りの作品のなかでこういうジャンル
のものが一定の人気を得ている。
 私のおもちゃは「からくり」ジャンルに入るのだろうか?
確かに積み木などと違って、動きを出す仕組みと
いうものがあって、少々複雑な面も持ち合わせている。
 ただ、じっくり考えて比較してみると、いわゆるからくり
玩具やメカニズムおもちゃとの大きな違いに気付いた。
 それは「動きのリンク」の違いである。からくり玩具は、
動きのリンクそのものを楽しむようになっている。メカニ
ック
なんだけどどこか懐かしいアナログ的「きかい」
の素朴な動きを楽しむのだろう。
 一方、私のおもちゃはどうだろう?動きのリンクは一回
ないし
は二回くらいしか無い。つまり、「たたく」動作が
シーソー型の
カタパルトに伝わり、それで何かを飛ばす
だけ・・・・
という程度の「メカ」なのだ。メカというのもおこ
がましいほど
単純なものだ。
 じゃ、何を楽しむのだろう?それは、たたくほうの手の
「たたき方」の調節のほうを楽しむのである。おもちゃは
人間の力を伝えてくれる媒介にすぎない。おもちゃその
もの
のメカで見せる玩具ではないのだ。自分の動作で
起こる変化を楽しむ玩具なのである。
 
 どうしてこういうおもちゃの傾向になったのだろう?
ひとつには、私は「理科系」ではなくて「文化系」人間
だからだろう。機械の仕組みとかそういうのにあまり
興味
は無い。例えば車だが、車のデザインなどを
見ることや乗ることは好きだけど、メカには詳しくない。
 だからといって、動物のおもちゃとかそういう情緒的
おもちゃの傾向にならなくて、一見メカニックに「見え
る」
玩具になってしまったのも我ながら不思議だなと
思う。
 要するに、「たたいたり」「飛ばしたり」「ころがしたり」
自分が動かさなきゃ気がすまないんだろう。
結局「体育系」か・・・・。

2005年12月26日(月)
コミュニケーションの道具として

 一人で遊ぶのが基本のおもちゃもある。
(パズルなんか
がその代表的なものかな)
私のおもちゃたちはどうだろうか?

たたいてどこまで上がったか、とか、何番目の
ブロックに乗ったかとか
何人かでおもちゃを真ん中
にして盛り上がることができる
おもちゃなのである。
「ファミリーゲーム」と名づけて販売して
いただい
ている場合もある。

 大切にしているのは「やりとり」だ。「やった!」
「次は僕!」と、友だち同士、
兄弟、親子などで
盛り上がってほしい。そのときおもちゃは、
コミュニ
ケーションの道具となる。

 負けたくやしさ、出来た達成感、小さい子に
ちょっとゆずって
あげる優しさ、そして親子の対話・・・
・おもちゃをはさんで
人と人との関係の「スキル
アップ」のお手伝いができれば
うれしい。

 うまく遊ぶための「力加減」や「コツ」も、そうだ。
一人で遊んでつかむ
こともあるけど、皆で遊ぶ中で
教えあったり、こっそりマネしたり
子どもに親が教えら
れたり・・・といった「伝え合い」によるところ

も大きいと思う。(昔、ガキ大将がいて異年齢で
遊んでいた頃、自然
となされていたことだった。)
 木のおもちゃは、シンプルなぶん、人が介在して遊ぶ
要素が大きい。言葉が通じなくても遊べるし、年齢が
違っても遊べる。人と人をつなぐ道具なのだ。
 
 

2005年11月17日(木)
木でつくるということ

 よく使う木はブナ。広葉樹で、比較的硬い。
また、「ねばり」があって割れにくいので、たたい
たりするおもちゃに向く。
 それと、ブナは木目があまりめだたないので
白くプレーンな印象を与え、素材が主張しすぎな
いところも好きだ。目が詰まって緻密な木肌なの
で、磨くと大変美しい。端材を捨てるのがもったいなく
なる。
 ただ、好みによっては、もっと「木目!」という感じ
の木が好きな人もあるだろう。

 木、特にブナ材に「惚れている」私ではあるが
「はじめに木ありき」ではない。やはり面白くて美しい
おもちゃを作りたいのがまず第一にあって、そのための
素材として木が一番ふさわしかっただけだ。
だから、「木のぬくもり」とか、ことさら木の素材感を
前面にだすのはちょっと抵抗がある。木が自然素材で
あり、すばらしいことは「言わずもがな」の前提だから
である。
 木でありさえすればどんなおもちゃでも
「良いおもちゃ」なのか?といえばそうでもない
気がする。アイデアやデザインをどこかからパクッたものもあるだろうし、売らんかなの色気がですぎている
「木のおもちゃ」だってある。
 そういう意味では、「おもちゃとしてすぐれているか
どうか」ということをまず大事にしたい。

 別の角度から言えば、木でおもちゃを作るという
ことは「制限がある」のだ。木の強度や加工特性によって
金属やプラスティックほど自由奔放なスタイルの
ものはできないし、仕組みだって単純になる。
 でも、そこが面白いのだ。いやでもシンプルな表現で
おもちゃをデザインしなくてはならない木というものの
制約が面白いものを生み出すのだと信じている。
 

2005年11月10日(木)
「加減」のはなし

 たたくおもちゃをたくさん作っている私だが、
たたくといっても一通りではない。
 強くたたくおもちゃ「ぼかん」「スポーラ」「ワンツースリー」
微妙な加減でたたくおもちゃ「のせっこ」「飛んでキャッチ」等。
うまく遊ぶためにはそのおもちゃに合わせた

ちょうどの力加減が必要だ。
 電子ゲームだと、ボタンを押す早さや頻度で
動きが変わるだけで、たたき加減の微妙さは会得
できない。そういう感覚は、やはり実物で遊ぶ
アナログ遊びならではのものだ。
 昔の子どもは、コマ回し、お手玉、けんだまなどで
そういう「微妙な感覚」を磨いてきた。(もちろん今も
そういうおもちゃはわずかに遊ばれてはいるが・・・)
そしてそういう感覚は、生活の場において、そうじを
したり料理をしたり、ひもを結んだり、工作したり
といった場面での「普通の器用さ」を陰ながら支えて
きたのではないだろうか?
 別の角度から考えると、微妙な力加減がわかる
ということは、こどもどうしのケンカの中でも、相手
に与えるダメージを加減できるということにも
つながる気がする。

 木のおもちゃというと、積み木を筆頭にした「知育」
的な面が「役に立つ」と評価されがちだ。もちろん
そういうことはあるし、そこから得るものも大きい。
だが、「力加減」というような人間の基本的な感覚を
遊びを通して学ぶという面がこれからはもっと評価
されていいのではないのかなと思っている。

2005年11月9日(水)
おもちゃコラムスタート!

ここでは、Mtoysアトリエ主宰・松島洋一の
おもちゃへの想い、考え方などを、その時々の
テーマでコラム形式で綴っていきたいと思います。
よろしくお願いいたします。

Mtoysの

おもちゃコラム

ここでは、Mtoys主宰・松島洋一の木のおもちゃへの想いや考え方を、その時々の
テーマで語っていきたいと思います。