次男(中二)の自転車のチェーンが、前のギヤ
から外れて、変な奥に噛みこんでしまったので
治してやることになった。はじめは自転車屋さん
に持っていくつもりだったが、ホームセンターで
チェーンとチェーン切り(チェーンのジョイントを
はずす道具)が売ってたので自分で治すことに
した。もともと自転車は高校生のころは好きでよく
自分でいじってたので修理は得意なのだ。
そういえば、この前、妻の実家に皆で帰った時
義母の3輪自転車がパンクして自転車屋で「この
タイヤはもうだめ。3本ともチューブごと代える必要
がある。このタイヤは特殊なので部品代と工賃で
\15,000かかる」といわれたそうだ。しかし後日、
ホームセンターでみたら、その小さなタイヤはいくらでも
売っていた。チューブとタイヤ3組で\6,000
くらいで揃うのだ。しかも部品代はプロならホーム
センターで購入する価格と同じはずがないし・・・。
『ばからしいなあ』『ちょっとふっかけられてんのかな』
とも思えるのだが・・・。
ただ、工賃というものをどうみるかだ。そのへん
が難しい。確かにちょっと自転車をいじったことが
ある人間ならタイヤ交換なんか簡単な作業なのだが・・・。
一般に技術料というものは素人が考えるより設定が
高いのが常なようだ。
かくいう私にしたって、おもちゃ教室の講師料の
設定も、普通のバイトやパートの時給から考えれば
高くなる。それもまた、技術料、アイデア料という「無形」
の価値観が上乗せされているからということになる。
件の自転車屋が高いか安いかは別として、技術や
アイデアといった「無形」のものが正当に評価されることも
また必要だし、知的所有権などを尊重する考え方もまた
そういうことの延長線上にあるような気がする。
ただ、「無形」は「無形」でも「ナントカプロデューサー」
とか「ナントカセラピスト」とかとにかく横文字で
肩書きをつけて、やれ「こうすればもうかる」とか「こうすれば健康になる」などと
説いては大金を掻っ攫うようなうさんくさい輩も
いるようなので、そうなると今度は延長線上に「虚業」という
言葉が見えてくる。
人が何に対して対価を払うのかということを厳密に
考えていくと、とてもあいまいな世界だと思う。
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