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2007年12月15日(土)
他府県ナンバー

 今日、工作教室の出張で大阪の箕面市のほうに
行っていた。午前中の教室だったので、帰りに
昼食をとろうと、ファーストフード店の入ったショッピング
センターに車を止めた。店はいっぱいだったので
テイクアウトにして駐車場の車の中で食べていた。
なにげなく前に並んで止まっている車の列を眺めて
いて「あれ?」と思った。
 大阪ナンバー、京都ナンバーは当たり前として、その
隣が名古屋ナンバー、1台飛んで室蘭(!)ナンバー、
その隣が福井ナンバー、2台大阪ナンバーが並んで
その次が品川ナンバーだった・・・。なんの変哲もない
このショッピングセンターに何故そんなにも遠方の車が
並んでいるんだろう?頭の中でいろいろ推理してみた。
『USJ(ユニバーサルスタジオジャパン)に行った人がもう少し
先のICから高速に乗ろうとしているのか・・でもわざわざ
茨木インターから乗るのもおかしい・・』『たまたま土曜日
で行楽などの人が昼食で立ち寄っているだけか・・・』
『なんかの宗教団体の全国大会でもあったとか・・・』
結局なにもわからなかったけど、謎めいた光景だった・・・。

 

2007年12月14日(金)
12月も半ばです

 もう1ヶ月ほどこの日記も書いていなかった。
クリスマス前で忙しいというのもあったけど、
海外体験談のブログも一方で更新しているので
ちょっと手が回らなかったというのが正直なところ。
 明日は、今年最後のおもちゃ教室だ。大阪府の
北部、箕面市の「らいとぴあ21」という施設で行う。
バスケットのフリースローができるおもちゃを作ること
になっている。

 Jリーグの京都サンガがJ2からJ1への昇格を果たした。
来期、たまには西京極(ホームスタジアム)に行こうかな・・。

2007年11月18日(日)
酒蔵見学

 大阪の北部、高槻市の造り酒屋の酒蔵を見学する機会が
あった。インフォメーションのページで紹介していた連続ワークショップ
の最終回が私の担当で、そのプログラムの一環として酒蔵見学も
行ったのだ。灘や伏見ほど全国区ではないが古くから酒作りの街として
栄えたこの地域で2軒だけ残った造り酒屋の一軒におじゃました。
 実は、地域の歴史や事物を学び、おもちゃ作りを通して再発見しようと
いう取り組みなのだ。私の回は「酒樽パズルボカン」というおもちゃを作る
ワークショップである。そのための事前学習として酒蔵におじゃましたわけだ。
(今回のワークショップ「わが街おもちゃ紀行」を企画・主催した富田青少年
交流センターの担当職員の方が段取りしてくださった。)
 日本酒が米と麹でできることはなんとなくわかっていたのだが、今回詳しく
説明していただいて初めてきちんと理解できた。米をまず麹で「糖化」し、
それを酵母で醗酵させて酒にしていくという2段階の過程があるそうだ。そして
何度も「澱」をのぞいていったものが清酒になるんだそうだ。
 酒蔵の中は、その過程それぞれの装置、器具などが配置され、使い込まれた
迫力があった。ものを作っている現場というものは面白いなあと改めて感じた。
私自身は酒はほとんど飲まないが、なんかここで出来たお酒を味見してみたいな
という気にさせられた。
 その後作った「酒樽パズルボカン」は、見学の効果もあってか、子どもたちも
楽しく、作ってくれた。高さ7cmほどのものだが、本物そっくりに見える。これらは
子どもたちがそれぞれお酒の名前を考えて、ラベルに書き込んで貼ってある。



2007年11月12日(月)
化学戦・・?

 写真は工房での作業時のスタイルである。
もちろん、木屑が舞う状況に限られるが・・。
まるで毒ガス戦の訓練みたいだけど・・。
「コーパー・・コーパー」(これ擬音)とダースベイダー
みたいな呼吸音になってしまうのだ。
耳の防音パッドは、沖縄で米軍の放出品を扱う
店で買ったもので、もともとは大砲などの発射時
の轟音で鼓膜を破ったりしないように防護するもの
らしい。耳あたりがとてもソフトで使いごこちがいい
のだ。
 真夏はこの格好だとかなり暑い。ひと作業終わって
はずすと汗だくだ。そして身体は木屑まみれ。女房には
「作業服を下で着替えてから二階に上がってきて」(工房は
1階)と言われている。でも昼間は私一人なのでつい面倒くさく
てそのままちょいちょいと掃って昼飯食べに2階に上がる
ことになる。結局木屑でばれるんだけど・・。

2007年11月6日(火)
自転車泥棒

 自転車が見つかった今回のことで少し思った。
放置されて見つかったということは、盗んだやつも
特にほしくて盗んだわけでもなく、帰りの足に便利だから
とか、遊び半分とか、とにかく「絶対この自転車がほし
かった」という思いではなかったはずだ。最近の自転車泥棒
って皆そういう感じなんだろう。
 昔、(これは厳密には「泥棒」ではないが、)高校時代、少し自転車に
凝っていた時期があって、サイクリング車のいいのがほしかった。(何段変速とかのついたやつ)
しかし乗っていたのは小学校の時に買ってもらった今でいう「ママチャリ」っぽい
普通のものだった。学校からの帰り道の空き地にいつも放置してある自転車があり、
痛んではいるものの、変速機付きのサイクリング車とにらんだ。そこで、運転免許
を持っている友達(高3だったので18歳になってるやつもいた。そのころは車の
免許を取ったり、学校にバイクで行ってもよかった時代だった。)に頼んで、そいつの
家の工場で使っているトラックを借りてきてもらった。夕方、少し薄暗くなってから、
その空き地に行って、急いでその放置自転車をトラックの荷台に載せ、すばやく
走り去った・・。
 私は家のガレージでそいつを分解し、フレームの塗装をおとして
黄色がかったクリーム色に塗装した。かろうじて買うことができたドロップ
ハンドルをつけて、組み上げ、部品に油を差し、タイヤを換え、ついに念願の変速機つき
のサイクリング車っぽい愛車ができあがった。それからというもの、電車で2駅ほど離れた
高校には毎日その自転車で通った。
 
 盗んだのとは違うとはいえ、勝手に持っていって自分のものにしたのはあんまりほめられた
ことではない。ただ、同じ、取ってくるにしてもとてもほしくて、手を入れてそこまで大事に乗るのと
、つかのまの足として盗みいらなくなったら駅に放置するのとはなんか全然違うような気がするのだ。
時代が違うから仕方がないのかもしれないが・・・。
 イタリアの古い映画「自転車泥棒」を思い出す。日本と同じ敗戦国イタリアの戦後の貧しい時期、
やっと職をみつけた男の大事な商売道具の自転車が盗まれてしまう。彼は足を棒のようにして
探し、盗品を扱うあやしいアジトで自分の自転車を発見するが、チンピラどもにすごまれて手がだせ
ない。思い余った男はその自転車を盗み返して必死に走る・・。小さな息子は泣きながらそんな
父を追う。そして彼は取り押さえられてしまう・・。悲しい映画だった。
 そこまでの思いで行う「盗み」と、遊び感覚や「ちょっとほしかったから」と簡単に万引きするような
「盗み」。罪としては確かに同じには違いない。でも、現代の「動機」の軽さ加減はどうだ・・。

2007年10月31日(水)
自転車

 盗まれた自転車がみつかった。次男(中3)の自転車
が、3週間ほど前、公園に止めて遊んでいるときに、帰ろう
と思って見ると盗られて無かったのだ。その時点で、買ってまだ
1週間くらいしかたってなかったので、次男もがっかりしていた。
早速交番に行って、盗難届けを出した。でも内心は『たぶん
みつからないだろうなあ・・・』とあきらめていた。
 放置自転車の集積所にも一度見に行って、探してみたが
無かった。その時に係の人が「もしここに届けば防犯登録
してあれば番号を照会して通知します。」と言っていた。でも
その時も期待はしていなかった。
 それから約2週間後の一昨日、ハガキが届いた。「自転車が
見つかったので集積所に取りに来てください。」という内容だ。
どうやら盗んだ人が駅に放置し、放置自転車の回収で集積所
に来たらしい。

 集積所には「腐るほど」の自転車があり、それも毎日増えて
いる。そんな中で照会といってもどこまでしてくれるのかな・・・と
半ば信頼していなかったのだが、ちゃんと仕事をしてくれていたのが
うれしかった。
 「見つかってラッキーやったなあ」と私が言うと、長男が「ほんま
にラッキーな人は盗られへんのとちゃうか」ともっともな事を言う。
「盗まれる確率は10台のうち3台くらいやけど、いったん盗まれた
自転車が戻ってくる確率は100台に1台くらいやろうから、やっぱり
ラッキーなんや!」となにやらややこしい理屈で対向した私であった。
当の次男は見つかってうれしいので「どっちでもええやん」という顔。

Mtoys日記

毎日は書けないけど、、ひごろ考えていることを垣間見てもらえたらいいかな
と思います。