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2008年5月29日(木)
忘れ物

 先日、仕事の打ち合わせで大阪の難波に行って
いたのだが、その帰りの話。小腹が減ったので
駅構内の立ち食いうどんの店に入り、きつねうどんを
食べた。食べ終えた時が、乗り換えの宇治行きの
発車2分前。『いいペースだな』と自己満足しながら
電車に乗り込む。10分ほどで「木幡駅」に着き、そこから
また10分歩いて家に到着。次の日、買ってきた
ものが無いのに気付く・・・。東急ハンズで買ったプラスティック
の板4枚が無い・・。よーく思い出してみる。『あっ・・うどん食べた時や!』
 あわててその駅に出かけて「入場券」を買い、うどん屋さんへ。
「あのー昨日の夕方、ここに東急ハンズの袋忘れてませんでした?」
「はいはいありましたよ。」と奥から持ってきてくれた。
受け取って、お礼をいい、帰路に着く。

 その話を妻にしていたら、「忘れ物名人」の次男がニヤニヤ
しながら聞いていた。さあ、これからも彼が傘を忘れた時
強く言えるのか!?

2008年5月19日(月)
父の命日

 倉敷で知り合いのグラフィックデザイナーの方と
夕食をご一緒した折り、話しの流れで私の父もグラフィック
デザイナーだったことをお話した。父が亡くなってもう
19年経つ。ちょうどこの5月の23日が命日である。
 今でこそ「グラフィックデザイン」などとかっこいい名前が
一般化してきたが、父が現役でバリバリやってた頃は
「商業デザイン」と呼ばれていた。商品や企業広告に関わる
デザイン全般を指す。
 父の頃はコンピューターで版下などを作成するような
ことは一般的ではなくて、写植(活字体を印画紙にほしいサイズ
や字数で焼いたもの)を貼り込んで、ポスターカラーで線など
を塗り、インレタ(インスタントレタリング)なども併用して一枚の
版下を作るというような作業だった。いわば職人的な仕事でも
あったのだ。そういう仕事を横目で見ながら育ったので、
「デザイン」というものが、バーチャルイメージだけの世界ではなく
「ものづくり」のひとつであると実感したのかもしれない。
 多様なグラフィックデザインの仕事の中で、晩年の父が
好んでやっていた仕事はタイポグラフィー(ロゴやマーク、書体などを
発想し、プレゼンしたりすること)だった。代表的な仕事として
「神戸市立博物館」のシンボルマークがある。父が生きているころ、
博物館から毎年、企画展の招待券が送られてきていたが、亡くなって
からもむこうは知らずに送ってきていた。そこで、悪いと思った母が
博物館に「もう本人が亡くなりましたので、送っていただくのはご遠慮
します。」とTELしたそうだ。すると博物館の方が「それは存じませんでした。
お悔やみ申し上げます。続けて送らせていただきますのでご家族
でぜひ見においでください。」と言ってくださったらしく、母は感激して
いた。そうして何年かは送られてきたそうだ。まあ、今となっては
遠い思い出だが。


神戸市立博物館のマーク


2008年5月13日(火)
方言

 倉敷の話題。
私のブースにはいつも子供たちが「たかっている」
状態なんだけど、基本は岡山県の子どもたち
なので(あたりまえか・・・)、「○○やけん」とか
「何々しょーるが」などという岡山弁の方言がなんとも
可愛いなあと思ってしまう。

 方言といえば、私は大阪人なので大阪弁なのだが
最近の「大阪弁」はずいぶん変わってきてるなあと思う。
「めっちゃ」なんていう言い方は昔からあるように思われて
いるかも知れないが、私の記憶では30年くらい前(学生
時代)からだと思う。というのも、大学生の頃、新入生が話している
のを聞いていて、盛んに「めっちゃ○○やな」という言い方
が出て来るので『このごろの高校生はそういう表現が流行って
るのか・・・』と思った覚えがあるのだ。「ごっつい○○やな」と
いうのは子供の頃から周りで皆使っていたが。
 もちろん言葉は生き物だから徐々に変化していくのは仕方が無い。
ただ、「大阪弁」と現在マスコミで認識されているものが、実は
昔ながらの大阪市内で使われていた言葉ではなくて
河内弁や泉州弁が交じったものが「広域」の大阪弁として
認識されている場合も多く、それらが「大阪弁」として
テレビなどで垂れ流されている。肝心の大阪人も逆にテレビから
影響を受けて、そういうのが大阪弁だと思わされている節も
あるのではないか・・。しかも、お笑い文化イコール大阪という
のが強調されすぎて、素人がすぐに「オチがどうした」とか
「ノリ突っ込みがどう」とか言うようになってきた。思い起こして
みても20〜30年前はそんな芸人用語を一般の人間が使って
いた記憶は無い。いつのまにか「そうでなければ大阪人ではない」
というようなステレオタイプ的大阪人に、大阪人自身が
縛られているように見える。もちろんお笑いは大好きだし、楽しい会話は
いいに決まっているけどね。それにそんな芸人の真似事でなくても、味のあるおもろいおっちゃんや
おばちゃんは昔からいたような気がする。

2008年5月12日(月)
倉敷にて

 5月9日〜11日と岡山県の倉敷に行っていた。
毎年開催されている「フィールドオブクラフト・倉敷」
に出展参加するためだ。
 9日は本番の前日で、夕方に倉敷に入った。以前から
の知り合いで倉敷在住のグラフィックデザイナーのK氏と
久しぶりに会い、夕食などをご一緒する。
 10日からは出展だが、あいにくの雨。濡れながら立てた
タープの下で寒さに震えながらの一日だった。
 翌11日は雨もあがり、午前曇り、午後晴れ。たくさんの
方が見に来てくださり、ブースも大盛況だった。
倉敷でのこのクラフトフェアも3回目なので、「前にこの
おもちゃを買いました。今も遊んでいます。」と言って
くださる方、「これ前回はなかったですね。新作ですか?」と
しっかり作品を覚えてくれている方など「リピーター」の人たちも
多く、少しずつこのイベントが地元に根をおろしてきているなと
思わせるものがあった。前回にも来てくれたカナダ人の
お父さんが、私のおもちゃ「メイズ」で長い時間遊んでいる
息子さんを見ながら「私の奥さんが京都の人なので、家族で
里帰りした時にお店におじゃましたい」「お店はやってなくて工房
だけなんです。」「そのほうが逆にお父さん(ご自分の事)は興味あるヨ」
という会話も。
 仕事上の知り合いの方にもたくさんお会いでき、今回もなかなか
いい出会いがあった3日間だった。

2008年5月4日(日)
サムライ

 ゴールデンウィークといっても、特に遠出する
こともなく、仕事をしたりしている。だいたいどこに
行っても混んでいる時に出かけるのは考えるだけで
しんどい。
 ただ、そんな中、近場に歩きには行っている。
京都の八幡市というところに岩清水八幡宮というのがあり
「男山」という山の上にある。そこへはケーブルカーなどで
登れるようになっているのだが、歩いてももちろん行ける。石段で
登っていく道や、「こもれびルート」と名づけられた
山道を行くルートもある。短くてあっけないルートだが、一応
一汗かく運動にはなる。
 途中いくつも竹林があり、たけのこが顔を出していた。
山頂の八幡宮の境内には体育館があって、覗くと、「居合い」
(真剣や模擬刀を使って、抜刀したり、いろいろな型をやる武道)の
練習をたくさんの人たちがしていた。
 境内で休んでお茶を飲んでいると、さきほどの居合いの
人たちが、練習が終わったのか、刀を下げはかま姿で一人、また
一人と歩いてくる。3人通ったけど、3人とも白人の方だった。
しかも皆揃いもそろって髪の毛を伸ばして後ろで束ね、ポニーテール
のようにくくっている。つまり「サムライ」風なのである。
 一人の人などは、目が合うと、静かにお辞儀をしてくれたので
思わずこちらもお辞儀をした。
 いかにも「日本文化」とか「サムライ」にはまっている外国人という
典型的な感じだったのでなんか面白かった。(いや・・ご本人たち
はたぶん真剣に修行されているのだろう・・・。あくまで、パッと見ただけの
野次馬としての目線だが・・・)
 映画「ラストサムライ」以降、こういう外国人が増えたのでは・・・?と
ついつい想像してしまう。

2008年4月29日(火)
交通の要衝

兵庫県の豊岡市方面に仕事の打ち合わせ。
私のおもちゃの量産をお願いしている会社に
試作品の改善点についての話をするために
でかけたのだ。
今回は車で行ったのだが、天気が良かったので
快適なドライブになった。それでも、京都・宇治から4時間
くらいかかるのでやはり疲れた。
 それにしても、京都の北西の亀岡あたりを抜けて
丹波地方から豊岡方面にむかうのだが、途中
の丹波地域は、大阪からも京都からも兵庫からも行ける
という「中間点」的な位置になる。関西で他にこういう
中間点的な山里といえば、伊賀あたりも、京都と滋賀と
三重の中間になる。どうしてこんなことを書くのかのというと
共通点は「忍者」である。「丹波の○○」という忍者も聞いた
ことがあるし、伊賀はあまりにも有名だし・・。
 どこへでも山を抜ければ行ける「要衝」となる地域に
忍者が隠れ里を構え、依頼をこなしたというのが
うなづける。
 車で走りながらこんなことを考えていた・・。


2008年4月10日(木)
待つのが苦手

買い物に行くのはたいがい平日だ。
たまに日曜日にスーパーやホームセンター
に行くことがあると、その混みようにうんざりしてしまう。
レジに並ぶのも嫌だし、なんか待てなくなって
いる自分に気付いた・・。もともとせっかちな性分なので
よけいそうなるのだが、長年の自由業暮らしで
平日に動く自由さにどっぷりと慣れてしまっているんだろうな・・。
がらんとした平日のホームセンターなんかでいろいろ見ている時間などに、ふと
『俺は自由なんや!』としみじみと開放感を感じることがある。
先の見えない不安をかかえつつも、そんな自由さを
味わったら二度と勤め人には戻れない。ただし、
忙しい時は不思議と仕事がいっぱい重なってくるから
「ほどよい」自由ってやつはなかなか無いのだ・・。

Mtoys日記

毎日は書けないけど、、ひごろ考えていることを垣間見てもらえたらいいかな
と思います。