一昨日、阪神淡路大震災から14年目の追悼行事が大きく報じられていた。
あの時、京都でも大きく揺れ、揺れが収まるまでの恐怖感はよく覚えている。
その後、神戸方面に住むしんせきなどに電話をかけるものの、全くつながらず
『これは相当な事が起こっているな・・』と戦慄したことが鮮明によみがえる。
震災後半年くらいたってから、支援活動や行政交渉などで尽力されていた
S牧師からの依頼で、西宮のプレハブの仮設会場でおこなったおもちゃ教室、
1年くらいたってから、神戸の幼稚園でおもちゃ教室をやり、園長室に震災当時
の園の被害写真がたくさん飾ってあったことなど・・・とても、なにか復興支援活動
をしたとは言えないほどの関わりではあったが、いろいろなことを思い出す。
ただ、震災以降、家を失う・身近な人を失う・ライフラインを失うことなどが、
ある種の実感を伴ったシビアなものとして心の中に刻まれたのは事実だし、それはきちん
と持っておかなくてはいけないなと思う。
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