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2009年3月4日(水)
買い替えたいなあ・・でも

 今日は、仕事の打ち合わせで神戸方面へ車で出張。
先日も兵庫県の有馬へ行ったところだったので、何故か
こっち方面に出かけることが重なった。
 混むだろうな・・と予想していた阪神高速神戸線は意外
にもスイスイ。いつも摩耶とか魚崎なんかの付近で渋滞とか
ラジオで言ってるのに・・ラッキーだった。
 今の車もトラブルなくよく走ってくれるのだが、そろそろ
飽きてきたかな・・・。現在のはミニバンなのだが、やはり
2台前に乗っていたようなステーションワゴンのほうが
高速は走りやすかった気がする。
 でも、この1月に車検受けたばっかりなので、しばらくは
がまん、がまん・・。

2009年2月23日(月)
首長鳥のモビール

 写真の鳥のおもちゃは、昨年の春に沖縄で見つけたもの。
名護から本部半島に入り、途中の山間にある隠れ家みたいなカフェに入った時、
テラスにこうして掛けてあった。

 周りはうっそうとした山で、時間が止まったような不思議なひととき
をのんびりと過ごせた。
その店は、店内が半分雑貨屋みたいになっていて、アンティークやら
アジア雑貨やら、雑多な店主の「コレクション」が飾ってあった。その中の
一点だったのだが、「これは売ってもらえますか?」と聞くと「いいよ。」
という返事。沖縄の民芸品ではなくタイかどこかの土産物だという。
 上の棒の後についた魚と、長い鳥の首との重さのバランスがとれて
いて、ブラブラとモビールのように動く。なかなか面白いアイデアだ。
 今は我が家の窓際で揺れている。

2009年2月9日(月)
追悼・西田明夫さん

 もう博物館のホームページでも発表されているのでご存知の方も
あるかと思うが、岡山県の現代玩具博物館、兵庫県の有馬玩具博物館の館長
西田明夫氏が2月6日に63歳の若さで急逝された。
 西田さんは、精緻なからくりで動く木の玩具「オートマタ」の作家として
日本のみならずヨーロッパでも高い評価を受けている。西田さんとは1988年に、東京
渋谷の東急百貨店で開かれた「日本おもちゃ会議」の創作おもちゃフェスティバル
という展覧会で同じ出展者として出会ったのが最初だった。その後、西田さんは
岡山県の山の中、東粟倉村(現在は美作市に統合された)に居を移し、
ペンション「田舎の日曜日」を経営しながらおもちゃ作りをされ、村に多数のクラフトマン
を誘致する原動力となられた。工房で開催されたワークショップに講師として
招いていただき、のんびりした山の風景をみながら語り合った日々が思いだされる。
 そして1995年、ヨーロッパや日本のすぐれた現代の玩具を集めた「現代玩具博物館」を、同村の作家仲間の
中心となって立ち上げ、館長となられたのだった。今日に至るまで、博物館で私の
個展を開催していただいたり、ワークショップで招いていただいたり、ほんとうにたくさんの
場面でお世話になった。私より8歳ほど年上だったが、会えばざっくばらんに
話せる友人でもあった。
 西田さんの活動は「オートマタ」という世界にとどまらずに、おもちゃ業界やおもちゃ作家、
おもちゃデザイナー全体を世の中に認知させる上で大きな功績があったと思う。そういう意味でも
早すぎる死が残念でならない。
 でも、今日の告別式の後、弔問に来られていたおもちゃデザイナー和久洋三氏が
西田さんのお身内にこんな言葉をかけておられた。「確かに63歳は早すぎます。でも、80、90まで
生きた人と同じかそれ以上の喜びや功績を世の中に残したことは確かなんだから・・・」と。


西田さんの著書「動くおもちゃ・オートマタ」(婦人生活社刊)より

2009年2月5日(木)
節分の巻き寿司

 先日の節分の日、妻から「昼間に巻き寿司買っといて」と頼まれ
買いに行く。別に「恵方を向いて丸かぶり」なんてしないんだけど、
巻き寿司を息子たちが好きなので、メニュー考える手間も省ける
し、たくさん売っていて数が揃うというような理由。
 直径7cmくらいある太巻きを11本も買っていたら、横のおばさんが
私の顔と買い物カゴを交互に見ていた・・。家族4人でなんで11本も
買うことになるかなあ・・と我ながら内心あきれていたけど。相変わらず
エンゲル係数の高い我が家なのであった・・。


2009年1月30日(金)
久しぶりに見た富士山

27日〜28日と、東京と静岡方面に出張。東京では
昨年オープンした四谷の東京おもちゃ美術館を訪問。
ここのミュージアムショップでは私のおもちゃも販売していただいて
いる。ショップ担当の方や館長さんとしばしお話してから
失礼する。午後からは、原宿や青山にある、私のおもちゃを
取り扱っていただいているお店を訪問。ばたばたと忙しく
移動した1日だった。
 次の日は、新幹線のこだまで新富士駅へ。お迎えに来て
いただいたスタッフの方の車で、富士宮市郊外にある障害児の
療育やデイサービスをしている施設へ。こちらの現場から
生まれたニーズなどを生かして、オリジナルの布や木のおもちゃ
を開発し、商品化しようというプロジェクトに関わっているので
その打ち合わせ。車で走りだすやいなや目の前にドーンと見える
富士山にびっくり。こんなにきれいに見えるとは・・・。スタッフの方は
「いつも見ているので・・」と言っておられたが。
 将来的に材料として使用するかもしれないということで、富士宮
近隣の山林で間伐している現場を見学。作業している方にいろいろと
お話を聞く。間伐をして光が当たりだした地面から小さなヒノキの
苗木がたくさん顔を出していた。朝霧高原に続くこのあたりの風景は
京都では見られないダイナミックさで、ちょうど天気も良く暖かかった
こともあってとても気持ちよかった。



広い草原と富士。スカッと抜けているこの雄大さが気持ちいい。

2009年1月23日(金)
壬生界隈

 先日の連休の一日、京都市内の島原、壬生周辺を
散歩。いわずと知れた新撰組のゆかりの地域だ。島原
は、浅田次郎の「輪違屋糸里」という作品の舞台となった「輪違屋」の
建物が残っており、近くには大門もあって遊郭街の面影
がかすかに残されていた。島原から北へ歩くと壬生寺が
ある。新撰組が「調練場(訓練場)」として使っていたとのこと
で広い境内は昔のままの敷地だそうだ。境内を出ようともう
一方の門のほうを見ると、水色に袖口を白い山形に染め抜いた
羽織(新撰組の装束)を来た一団がうろうろしている。『なんだろう?
案内の人かな?それとも新撰組マニアの一団かな?どっち
にしろめんどくさいなあ・・』と思っていると、歩いていくうちに
いつのまにかいなくなった。記念写真でも写していたんだろう。
 そのあたりから南下して歩き、機関車の展示などで有名な
梅小路公園のあたりへ。「やきいも」と書いた看板があり、そこで
スティック状になった大学いもを買って歩きながら食べる。
公園を抜けて京都駅へ。そのままJRで帰路についた。
後で調べると、壬生寺の近くに「八木邸」というのがあり、そこが
新撰組の屯所だった所で見学もできるとか・・・。ちゃんと下調べ
しないので、いつもなにか抜けてるウォーキングになってしまうなあ・・。



壬生寺の境内

Mtoys日記

毎日は書けないけど、、ひごろ考えていることを垣間見てもらえたらいいかな
と思います。