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2009年4月19日(日)
なくしもの

 しい時ほど失くし物というのが出現するような気がする。
手に持って磨いていた小さな木の部品をポロッと落とす。そうなると
いくら探しても出てこない・・。見つかってもたいがい変な方向に
はねていて、『えっ?こんなとこにまで飛んでた?』というケースが
何故か多い。
 みつからなかったらもう一度部品を作るハメになる。作ろうとして
今度は差し金(直角に曲がった金属の木工用定規)が見あたらない・・。
積み重なったものをどけたり、ぐるぐる見渡したりしても無い・・。今度は
記憶をたどって『あのときに使ったから、あそこに置いて、次にあそこまで
持っていったはずやから・・』と思い出す。闇雲に探すより、この記憶をたどる
方法のほうが見つかる確率は高い。
 でも、急いでいるときは、なかなか冷静になって思い出すことができず、
かかってきたTELに出て話しながらぼーっと工房を眺めていると、ふと
『あっ・・あそこに・・』と見えたりするのだ。
 神様のいたずらに翻弄されて一人相撲をとっている私だった。でも、ものを
作っている人は皆同じようなことがあるんじゃないかな・・。きっと。


2009年4月12日(日)
日曜日

 日もいい天気だった。宇治市の隣,八幡市にある
石清水八幡宮に歩きに行く。男山という小高い山の上にあるので
すこしハアハアいう程度ではあるが運動にはなる。
 前を歩く高齢者の団体を一気に抜かして急ぎ足で階段を
上る。どうも生来の負けず嫌いのせいか、前に自分と同年台か、上の
年代の人が歩いていると抜かさずにはおれないのである・・。
それでいつも少し無理をしてしまって、後できつい思いをしたりする。
結局、自分のペースを乱されているわけでバカだなあと自分でも思う・・。

 最近、制作する仕事がびっしり詰まっていて、納期に間に合わせる
のに汲々としているのだが、「忙中閑あり」で、歩いたりしてリラックス
しないと、気分が煮詰まってくる。
 男山を降りて、まだ時間も早かったので、そこから淀川沿いの
桜の名所「背割り堤」に行ってみた。河岸の堤の桜並木は、すでにかなり散り始めていたが、
人がごった返していて、ブルーシートを敷いた花見客がいっぱい。
ちょっと歩いてみたが人の多さにうんざりして引き返した。
 それにしても「暑い」一日だった。ただ、杉花粉の飛散はもう終わっているはず
なのに、妙に鼻水が出て、花粉症の症状が出ていたのは何故だろう?
なにか他の花粉に反応しているのだろうか・・。アレルゲンが増えたのなら
嫌だなあ。

2009年4月6日(月)

 しぶりに歩きに行った。京都の鴨川の河原を
北大路あたりから三条まで、桜の花見を兼ねて。
天気も良かったので人でいっぱいだった。ブルーシート
を広げてお弁当を食べる家族連れ、大学の新歓行事
かなにかで盛り上がっている学生達、昼寝している
おじさん・・・人の多いのは少々苦手だけど、桜はきれい
だった。満開を少し過ぎてちょっと散り始めたくらいの
時期で、はらはらと花びらが舞っていた。
 三条の手前で鴨川を離れ、冷泉通りを東に疎水べり
を行く。ここもずっと桜並木だ。そのまま蹴上まで歩いて
地下鉄で帰る。
 6kmほど歩いただけなのでたいした運動にはならなかったが
気持ちは良かった。

2009年4月1日(水)
さよなら西井儀彦さん

る3月28日、京都在住のおもちゃ作家・西井儀彦さんが亡くなられた。59歳の若さだった。
肺ガンを宣告され、1年以上闘病されていたが、ついに力尽きてしまった。
 西井さんは、花はじきを使ったおもちゃで知られていて、最近では、「くるくる劇場」と
いうおもちゃを考案しておもちゃ教室などでたくさんの人たちが作った。くるくる劇場とは、
長い紙に連続していく絵を描き、木や牛乳パックで作られた窓付きの装置にそれを収めて
くるくる手で回すという楽しいおもちゃだ。西井さんや、何人かのおもちゃ作家仲間で作って
いるグループ「エトセトラ」のイベントでも、西井さんのワークショップの最近の定番はくるくる
劇場だった。


 西井さんの描く絵、おもちゃ、手紙、手づくりのミニ本・・・その世界は独特だ。
決して洗練されているとはいえないが、ほのぼのとした温かみと心に残る装飾センスがある。
ネフのおもちゃなどに代表されるシャープなデザインのおもちゃだけが、おもちゃの頂点だと
いう価値観の人には、西井さんのおもちゃの良さはわからないかもしれない・・。でも、
おもちゃというものがそれぞれの人にとって楽しく、愛着のあるものでいいのなら、確実に
西井さんのおもちゃはたくさんのファンを持っている。私もその中の一人だ。

 西井さんに会ったのはもう20年も前だ。私がおもちゃ作家として独立してしばらく経った、駆け出し
の頃だった。それ以来、作家仲間として、友人として、親しくおつきあいさせていただいた。
ざっくばらんで明るい西井さんがいると、仲間うちに笑いが絶えなかった。
 その西井さんがもういない。2月の西田さんに続いての訃報だ・・、なんか打ちのめされたような
思いである。
 ただ、西井さんは闘病中も明るさを失わず、周りへの気遣いをずっと忘れなかった。死と直面した時
の生き様を見せてくれた。

 「ぼくが生きる今日は もっと生きたかった誰かの明日かもしれないから」(「さよなら」 かりゆし58)
そう思ってがんばっていこうと思う。


2009年3月20日(金)
ウインドマン

 日は、大阪府高槻市にある「富田青少年交流センター」での
おもちゃ教室に出張。
 以前からいろいろなところでおこなっている題材「ウインドマン」を
作ってもらった。小学校1年〜5年くらいの子達とそのお母さん、お父さん
おじいちゃんなどが「自分なりのウインドマン」を工夫した。
 基本の板は共通で、それを少し糸鋸盤で切ったり、縦に使ったり
横に使ったりするだけでいろいろな風見鳥型のウインドマンができた。
こちらが思っていた以上にこどもたちの発想はすばらしく、写真のように
限られた部品から楽しいバリエーションが生まれた。やるたびに発見が

あってこちらも楽しい。
 そういえば昨日の日本橋での買い物中、そして今日の午後・・ずっと外にいたのでWBCが
気になってしかたがなかった。でも、結局、キューバには圧勝、韓国にも勝てて1位通過。
アメリカ戦が楽しみだ。
 



今日の作品の一部。魚、風車小屋、スペースシャトル、飛行機など・・

2009年3月19日(木)
日本橋

 というより初夏のような陽気の一日だった。
仕事の打ち合わせなどがあって大阪へ。ついでに
北区の西天満のほうでやっている知り合いの展覧会
にも寄る。なんばでの打ち合わせの後、時間があったので
日本橋(東京でいえば秋葉原のような電器街)へ。
ここには電器屋だけではなく、裏道などに工具の店が
たくさんある。ちょうどほしい電動工具があるので、ふらっと
通りの店に入る。定価¥58,000のものだが「これなんぼ?」
と聞くと「¥39,800」とのこと。しかも消耗品をおまけに
つけてくれるという。『買ってしまおうか・・』と心が動く。だが
そこはふんばって、「後で戻ってくるかもしれんけど、ちょっと
よそも見るわ」と出た。細い横丁を入ると、工具屋が並んでいる。
次の店で聞くと「取り寄せになる」とのこと。「値段は?」
「¥38,000」・・・『さっきより¥1,800安い・・』また心が動く。
「今持ち合わせが無いから、ちょっと、現金下ろしてくるわ」と言って
店を出る。そして次の店へ。店頭にその電動工具があった。
「いくらになる?」「¥33,000です」『やった!一番安い。しかもはじめの
店より6,800円も安い』うれしさを押し隠して、「ふーーん。消耗品
つけてくれるの?」と聞く。店の兄ちゃんはしばらく考えていたが
「1袋つけますわ」と言うので購入決定。やっぱり回ってみるもんだ。
 ネットで調べた時は一番安くて¥39,800だったのでずいぶん
安く買えた。
 10年ぶりくらいに訪れた日本橋はずいぶん様変わりしていた。アニメ
とかフィギュアとかそういういわゆるオタクグッズを扱う店がいっぱい
出来ていてなんかびっくり。少々居心地が悪かった。


2009年3月9日(月)
ハイコ・ヒリック講演会

 日は、静岡にあるおもちゃと本の店「百町森」さんで、ネフ社のデザイナー
ハイコ・ヒリック氏の講演会。私も、ネフ社にプレゼンしたい作品もあったので、
出かけた。
 ハイコさんは、代表作レインボウがきっかけで、20代でネフ社のデザイナーに
迎えられたという才能豊かな人物。(現在は30代後半くらいか)

「レインボウ」 (デザイン:ハイコ・ヒリック  ネフ社製品)

ドイツの素朴な木のおもちゃの産地エルツ地方に生まれ育ったこと、その風景や、家族
周りの文化などがまず語られ、その後、ハイコさんのおもちゃデザインの履歴や
考え方などが披露された。美しいエルツ地方の写真を見て、司会の相沢氏(ネフで多数
のおもちゃを商品化しているデザイナー)が「この風土に育った人にはかなわないや」
と吐露していた。
 講演後、会場のホテルから百町森の店に場所を移し、ハイコさんに作品のプレゼン
や私のラインナップを見ていただく。ちょうど、店に置いてあった「ウェーブ」で、ハイコさんと
レース遊びをしたりして交流させていただいた。彼は、私のカタログ中のスポーラを指差し
「これは遊んだことがある」と話していた。自分の作品がすでに知られていたことに、密かに
うれしかった私だった。多様なフォルムの展開を楽しむおもちゃが多い(クラーセンの作品を
中心として)ネフ社なので、私の作っている動きのあるおもちゃはジャンル外なのかなと勝手に
思っていた部分もあったが、ハイコさんが「ネフの現在の傾向にあわせる必要はない」と語って
いたのは勇気づけられた。そういえば、相沢氏が「亡くなったネフさんが松島さんのウェーブを
見て、絶賛してたんだよ」と教えてくれ、自分のコンセプトでデザインしてきたことは、間違っていな
かったかな・・と思えた。(プレゼンした作品は後日ネフ社に送ることに)

        「ウェーブ」                            「スポーラ」(レシオ社製品)

 講演会では、各地のおもちゃ屋さんや、いろいろな知り合いがたくさんいて、ネフのおもちゃ
の影響力の強さを改めて思い知らされた。

Mtoys日記

毎日は書けないけど、、ひごろ考えていることを垣間見てもらえたらいいかな
と思います。