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2010年6月6日(日)
豚饅

 曜日は、大阪の千里中央のよみうり文化センターでおもちゃ教室。
千里中央も、1970年の万博の時は新しいベッドタウンとして、なんか「未来
都市」的なイメージだった。あれから40年も経ち、千里中央の
ショッピングタウンも相当「まったり」してきたなあと感じる。
帰りに沿線の「江坂」駅で降り、クレヨンハウス大阪店さんで夏のおもちゃ教室
の打ち合わせ。
 土曜日は、妻が一泊研修でいないので、次男と二人きりの夕食に
なるはずだった。そこで、大阪では有名な「551蓬莱」の豚饅を買って帰る。
ところが、帰りの電車の中で携帯が鳴り、次男からメール。「今日
友達と飯食って帰る」とのこと・・。
 そんなわけで寂しく一人で豚饅の夕食。ウスターソースとからし
をつけるいつもの大阪スタイルで食べる。大阪では豚饅には基本的に
ウスターソースなのだ。ここの豚饅は周りの皮というか饅頭部分がおいしい。
子どもの頃からの好物。子どもの頃、大阪市内のデパートなどで
お土産に買って帰ってもらうモノの定番として、この「蓬莱の豚饅」「パルナスのピロシキ」
「ヒロタのシュークリーム」「阪神のイカ焼き」などがあった。まだまだデパートに行くのが
「うれしいおでかけ」だった時代だ。
 京都駅の構内にも551蓬莱の販売店ができて、最近人が並んでいるのを見かける。
京都には昔から販売店があったのかどうかよく知らないが、京都の人もウスターソースで
食べるんだろうか・・?京都に住んではいるものの京都の人のことがよくわからない私だった。



2010年5月31日(月)
カタツムリ


さなカタツムリ発見。
日曜日に歩きに行ったところでふと葉っぱを見るといたので
思わずシャッターを切った。まあ、初夏らしい1枚と
いうことで。

2010年5月26日(水)
東京で

 23日は東京へ。日本おもちゃ会議の総会に参加するためだ。
10年以上ぶりに夜行の高速バスで往復した。最近の夜行バスはいろいろと
ランクがあって、かなりシートがよくなっている。これなら寝られそうだなと思い
バスで行くことにしたのだ。(なにせ新幹線の半額くらいで乗れるので・・)乗って
みると、確かに座席を倒せる角度はかなりのもので、ほとんど15度くらいまで倒れる。
ただ、足が完全に延ばせないのだ・・。背が相当低い人なら伸ばせるかもしれないが
171cmの私には窮屈だった。若者が多いので、皆窮屈だろうなと思う。
そんなこんなで行きは6割、帰りは(疲れもあって)7割は寝れた。10年以上前乗った
座席は3割くらいしか寝れなかったのでずいぶんましにはなったけど・・。
 でも、年甲斐もなく無理したかな・・と少し後悔。
 
 さて、かんじんのおもちゃ会議総会は無事終わり、夕方から総会会場の四谷ひろば
の近くの居酒屋で懇親会。作家仲間、おもちゃを通したおつきあいの方々とよもやま話。
東京、巣鴨でおもちゃ店をやっているSさんが私の作品「スポーラ」について話してくれた
ことが強く印象に残った。「コマをなんでたたいて回すんだよ!って驚いたんです。」という
お話から始まり、「やわにたたいたってうまく回らないんですよね。強く一瞬の力を込める
たたき方でないと」と回し方のコツに続いていく。「やってると手が痛いんですよ。」という言葉
が出るが、それは「ダメ出し」ではなかった。Sさんは「ふつうならたたくところになんかやわらかい
素材を巻くとかそういうふうにするとこなんだけど、このおもちゃはそのまんま。そこで俺は

思ったんですよ、たぶんこのおもちゃは『痛いとかなんとかよりも、それでも回したいんだ』っていう
エネルギーでこうなったんだって」
 この言葉は私のおもちゃを表現する言い方として最高のほめ言葉だと思い、内心すごく感動
してしまった。そうなのだ。私の思いとしては、ちょっと手が痛くなるかもしれないけど、「もっと
回してやるんだ!」とそんなことをおかまいなしに遊ぶエネルギーを引き出したいのだ。そのための
道具として私のおもちゃをたたいてほしい。(「ぼかん」なんかもそうだけど。)
 それは、荒っぽさとは少し違うと思う。おもちゃが与えてくれる面白さを味わうのは、遊ぶこども
自身だってことだ。回し易いようにあまりにおもちゃの側が親切になりすぎたモノで味わう「面白さ」と、硬さや難しさの
手ごたえを感じながら成功した時に味わう「面白さ」の違いだ。

  SPOLA(イタリア・レシオ社より製品化。)

 時々、こうしておもちゃの販売に携わる方などから、客観的にみた「私のおもちゃへの評価」を
いただくが、何人かの方からはとても本質的というか的を射た表現をいただくことがあり、ありが
たいなあ・・と思っている。

2010年5月17日(月)
ワールド紙カップ

 ンフォメーションのページでも紹介しているが、今年も「京都おもちゃばこフォーラム」が
開催される。(詳しくはインフォメーションページを参照のこと)
 今年2010年のおもちゃばこフォーラムでの、児童書作家・杉山亮さんのワークショップは
4年に一回の「ワールド紙カップ」だ。お気づきのようにサッカーのワールドカップ開催の年に
ちなんで、そのパロディーとして名付けられた。
 内容はというと、紙コップを使って即興でおもちゃを作るというもの。
参加者は「日本」「ブラジル」「イングランド」などの国名をつけたグループに分かれ、相談しながら
テーマに合った紙コップおもちゃを考えて作る。最終的にはそれぞれのおもちゃの発想や出来栄え
を投票して順位を決めていく。(紙コップは切ったり、貼ったり加工OK)
 なかなかワクワクするワークショップだ。でも、おもちゃ作家も各グループに分かれて入れられる
ので、プロの発想力が問われてけっこうプレッシャーがかかる。
発想をうながす時や、出来上がった作品を講評する時、杉山さんの軽妙かつするどい
ツッコミが会場を盛り上げるのである。
 どうですか?参加してみたくなりませんか?

 2006年のおもちゃばこフォーラムでの「ワールド紙カップ」の作品を参加者
 が遊んでみている光景

 本当のワールドカップのほうもあと2週間ほどで始まる。最近のA代表の試合がいまいち
ふるわないので、「またドイツ大会の時のように1勝もできないのでは・・」という不安もよぎるが・・。
とりあえず、深夜の放送でも必死で見ることになるだろう。
 

2010年5月17日(月)
初夏の一日に思ったこと

 夏の日曜。近くに住む、学生時代からの友人夫婦2組とうちとの
いつもの3組で焼き肉パーティー。友人宅の裏の小さな河川敷にテーブル
を出して、気持ちのいい風に吹かれながら近況や昔話に花が咲いた。
 友人夫婦はどちらも公立学校の教員なのだが、何年か前と、今年、その中
の二人が早期退職した。彼らは皆、力もあり、困難な現場で頼りにされる
ような「体を張れる」教員ばかりなのだが、そういう教員は本当に疲れている。
 現場ならではのしんどさは昔からあったが、今、聞いていると、首長や行政
のぶちあげる「大向こう受け」するような制度いじりに翻弄されて、よけいな
仕事ばかりが増えて消耗させられている現実があるようだ。現場のニーズすなわち
こどもの現実とは違ったところから発せられる成果主義や評価主義が、
まじめに頑張る教員を消耗させている。そういう中で定年まで続けることなく50代くらいで
早期退職する教員は年々増えているという。

 20年ほど前に教員をやめた私は、その後も教員を続けてきた彼らにある種の負い目を
感じているところがある。早々と自分の好きな仕事に「逃げた」ような罪悪感をひきずってきた。
 早期退職や5〜6年後に定年を迎える彼らは、「自分がやりたかったこと」を今になって
探し始めている。早々と宮仕えをやめて「脱藩!?」した私は、なんか彼らに先駆けのモデルを
見せているような立場に少し逆転しはじめているような感覚を最近感じる。ただ、自分自身は
前述の「負い目」もあって、ストレートに作家稼業の自由さややりがいをなかなか面と向かって
語れない。
 
 それでも、今より30代くらいのときのほうが、彼らとはもっとギャップを感じていた。子どもの日々の現実
に向き合う彼らの仕事と、子どもを取り巻く環境そのものを作っていくようなモノづくりとして
のおもちゃ作家という仕事。本当は相互に補完しあうような大切な仕事だと思う。でも、忙しさのまっただ中にいた
彼らとはなかなか理解しあえない溝があった。当時も仲良く宴会して昔話をしていたけど
ずっとそういうギャップを少なくとも私の側は感じてきたし、なんとなくお互い触れないようにしてつきあって
きたようなところがある。
 でも、退職の近づいた彼ら、責任ある立場で教育現場全体が見えてきた彼らが、おもちゃ作りという
仕事の中身にふと興味や共感を示してくれる場面が年々増えてきたように感じる。(詳しくは書けないが
現場で私のおもちゃのノウハウを使って少し新しいことをしてみたいという提案をしてくれたのだ。20年間
自分からはそういうアプローチはあえてしてこなかったので、むこうからのそういう興味がとてもうれしかった。)
ようやくつながってきたのかな・・という感慨がある。
 自分に力がなく、駆け出しだっただけのくせに、毎日起こる問題を「もぐらたたき」や「火消し」のように
走り回る毎日が急にむなしくなって中学校教員をやめてしまった私。自分の得意なものづくりで、育ちや親子関係
そのものに影響を与えられるようなおもちゃを世に出したいな・・と方向転換してしまった。
そんな大それた結果は全然だせていないけれど、本当にがんばってきた教員の彼らに少し認めて
もらえるようになった自分がうれしかった今日のパーティーだった。

 私的な感想だな・・伝わらないとわかりつつ書いてしまった。 でも、こんなふうに書いてくると、すごい真面目な人たちなのかなと
思われるかもしれない・・。本当は学生時代から皆かなりのはずれ者で、反抗的でトンガっていて、かなり
ばかなことばかりやっていた。自分たちの息子や娘には話せないような・・。


2010年5月11日(火)
倉敷

 敷から帰ってきた。5月7日〜9日にかけて毎年開催されている「フィールドオブクラフトIN倉敷」
というクラフトフェアに参加していたためだ。昨年同様、今年も開催中の二日間は天候に恵まれ
たので見に来ていただいたお客さんの数もすごかった。
 
 クラフトフェアの前日の夜に倉敷入りし、夕食。今回は、出展仲間の工房サニープレイスのAさんと
工房童のWさんと3人で組み木作家の第一人者・小黒三郎さんのアトリエへ。小黒さんから「うちに
来ませんか?」とお誘いいただいていたのだ。近所のスーパーで食べ物を買って、倉敷市の高台に
ある小黒さんのアトリエにうかがう。飲み食いしながら、よもやま話。おもちゃ作家として皆長年のつきあい
なので楽しい時間がすぎていった。70歳をすこし過ぎた小黒さんが美術学生だった頃の自由闊達な時代の
ことを聞かせていただいたり、作品(試作なども)が並ぶ部屋で開発秘話を聞いたり、大先輩の小黒さんが
少し近くなったような気がした。

 作品が並んだアトリエの一室で作品を手に話す小黒さん(左はWさん、Aさん)

 そして翌日、クラフトフェア本番。ワークショップのコーナーを前述の作家3人(工房サニープレイス、工房童、エムトイズアトリエ)
で一緒に担当し、各自2種のおもちゃ・計6種のおもちゃを選んで作っていただくようにした。10時の開始時刻からもう休む暇がないくらい
次から次へとお客さんが来てくださり、サポーター(お手伝い)の学生さんも交えて指導におおわらわだった。
二日目も同様で、用意したキットがどんどん減っていく。
 忙しかったが楽しい3日間だった。


     
人、人、人のワークショップ会場

Mtoys日記

毎日は書けないけど、、ひごろ考えていることを垣間見てもらえたらいいかな
と思います。