<<前のページ | 次のページ>>
2010年11月7日(日)
シーソーサンタ

 し早いが、クリスマス向けのおもちゃを作る教室をおこなった。
ときどき教室をしているよみうり文化センター千里中央で、11月6日に
開催。「シーソーサンタ」というおもちゃで、サンタとトナカイが連動
してゆらゆらゆれる。 親子連れと、お孫さんのために作りにきた方
などが参加してくださった。
 3時すぎに終了して帰り途、電車だったので、梅田(大阪のキタ)に
寄って本屋へ。めあての本を買って、即地下鉄に乗り、淀屋橋から
京阪で直帰。梅田をうろうろしようかなとも思ったが、人ごみの中が
最近疲れる。若いころのように目的もなくブラブラすることができなく
なってきたなと思う今日この頃だ。




2010年11月4日(木)
田島征彦さん講演

 本作家の田島征彦さんの講演に行ってきた。この講演会は、龍谷大学短期大学部に
「こども教育学科」が来年度より開設される記念行事として企画されたものだ。
 実は,私を含めた作家仲間で作っている会「エトセトラ」に、昨年、龍谷大短期大学部より依頼があり、
こども教育学科開設にともなう「おもちゃプロジェクト」にいろいろ関わってきた経過がある。そのひとつ
の結実として、今回の行事の記念品として、我々エトセトラ5人のオリジナルおもちゃを採用いただき
来賓に配られる運びとなったのだ。(この記念品の内容についてはあらためて紹介したいと思う。)
 我々は記念品発案・制作に携わった立場から講演会に招待いただき、出席することになった。


  「みみずのかんたろう」田島征彦作

 さて、田島征彦さんだが、「じごくのそうべえ」「あつおのぼうけん」などの絵本を描いた方で、
双生児の兄弟・田島征三さん(同じく絵本作家。「しばてん」「ふきまんぷく」など)とお二人とも有名な
作家である。
 田島さんは、京都の北部・八木町(現・南丹市)に若いころより移り住み、田畑を耕しながら創作を
続けてこられた。印象に残った話としては、そういう若い頃の食うや食わずの時に沖縄に通って
絵本の題材を取材されていた頃のこと。田島さんは灰谷健次郎さん(児童文学者・「兎の眼」「太陽の子」
などで知られる)と一緒に沖縄を周り、島の人たちの中に入って生活したということだ。
 そんな時、ある村で「アカマタ、クロマタ」という秘密の祭りがあると聞き、地元の知り合いをつてになんとか見せて
もらえることになった。田島さんは祭りの踊りの様子をスケッチしながら、だんだん夢中になり、前に出て絵を描いて
いた。すると踊っていた少年が急に田島さんのスケッチブックを奪い取って、描いた絵をどんどんやぶってしまった
という・・。田島さんは『秘密の祭りなのによそものがこんなにあからさまにスケッチなんかして・・配慮がなんて
足りなかったんだろう・・。』と自己嫌悪に陥ったそうだ。落ち込んだ気持ちで宿に帰って返されたスケッチブックを
パラパラとめくってみると、どうしたことだろう!描いた絵は全部残っていたのだ。つまり少年は白い白紙だけを
破り、描かれたところは残しておいてくれたのだ・・。田島さんは、『あの年端もいかない少年がなんという心にくい
はからいをしてくれたことだろう・・。これが沖縄の心なんだな』と感じ入り、その体験をもとに、「キジムナーとトントンミー」
という絵本を描きあげたという。
 田島さんは常に絵本の題材に自分の存在をかけて向き合い、自分で感じたことを表現してこられた。頭でわかったような
ことを表現することは避けてこられた。そんな田島さんの姿勢がよく現れたエピソードだった。
 あと、「あつおのぼうけん」という障がい児が主人公の絵本では、原作を吉村敬子さん(自身も障がいをもつ絵本原作者)
が書き、絵を田島さんが書かれたのだが、、この制作話でも吉村さんとむきあい、ぶつかりあいながらひとつの作品にしていく
過程を聞くことができた。
 ちなみに、この吉村敬子さんのデビュー作「わたしいややねん」という絵本の絵を描いた松下(旧姓だが)香住という女性は
私の大学時代の同級生である。吉村さんの介護をしていた彼女が共同で一冊の絵本を作ったのだった。車いすだけしか出て
こないこの絵本は、今も名作として絵本界で評価されている。大学の授業をさぼりがちだった私をなにかと助けてくれた彼女
は、その絵本を1冊描いただけでプロにはならずに現在に至っている。たった1冊の仕事だが、「わたしいややねん」という仕事が
いつまでも輝いている。大学を卒業するかしないかの時期にこういう仕事を成した彼女に、同じ美術・デザイン系の学生として
少なからず影響を受けたと思う。それはやがて私が教員をやめて木のおもちゃ作家活動を選択する遠い動機のひとつになって
いる。
 なんか田島さんのお話から自分の知り合いにつながる事柄が思い出せて、うれしかった。


 そういうわけで、龍谷大学短期大学部が企画したこの催し、「学科新設」記念行事と銘打ちながらも、講演後のトークセッション
も含めて、ほとんどその内容は田島ワールドの話に終始するという、私にとっては心惹かれる催しだった。
 
 
 

2010年10月31日(日)
京都画材まつり

 30日、31日は、京都画材まつりでワークショップ。京都のいくつかの
画材店と画材メーカーが企画する画材の体験型イベントだ。その企画に
画家として参加されているおかだ美保さんからのお誘いで参加することに
なった。みやこメッセという大きなエキジビションホールで、たくさんのブース
が出展し、画材の新製品プレゼンや体験コーナーを展開。新しい画材を
使った絵画やクラフトの体験教室もある。そういう中に、私も「木のおもちゃ
を作って、アクリル絵具で着彩してみよう」というワークショップをやらせて
いただいた。
 会場は保育や教育関係者を中心とした多数の来場者でいっぱい。その中
で親子連れは私のブースでおもちゃで遊んでいったり、おもちゃ作りを体験
していく人が多かった。そんなわけでずっと立ち詰め、説明し詰めの二日間
だったが、なかなか楽しかった。
 日曜日は、午後から妻が画材などの勉強がてら(保育士なので仕事柄)
見に来た。当然、終了後の後片付けなどを手伝ってもらって帰路についた。
いつもはイベントがあっても一人で全てやっているのでたまに手伝いがあると
とても楽をした気分になった。


2010年10月26日(火)
検診と景色

 、年に一度の検診の結果を聞きに病院へ。悪玉コレステロールの
数値がほんの少しだけ高いのと、相変わらず若干の脂肪肝が指摘された
以外は異常なし。特に薬などを飲む必要もないとのことで、引き続き
運動を心がけるよう勧められた。まあ食生活も含めて、中高年が誰しも気を
つけなければならないことを普通に心がけていけば良いということらしい。
とりあえずはほっとひと安心。
 病院を出て歩いていると心なしか周りの景色が輝いて見えた。人間
なんて単純なもので、悲しい時は晴れた景色がかえってうらめしい時
もあるし、こうしてうれしい時は景色もはずんで見える。
 週に一回のウォーキングが効果をあげているのだと思うが、医者の話
では「週2回くらい歩いていただいたらいいんですけど」とのこと。仕事もあるし
なかなか難しいな・・・。6〜7年前、胃の調子を悪くした時に、不安にかられて、
暇をみつけては歩いていた時期があった。あまりに歩きすぎてはいていた
スニーカーをはきつぶし、足の爪に無理がかかって腫れあがり、医者で爪
をはがされて治療するまでになったことがある。少々極端に走るのが私の
だめなところなのだが・・・。でもその年はそのおかげで、前年に検診で指摘
されていた中性脂肪などすべてがきれいさっぱり消え去り、「なにも問題ない
です。すべてきれいなもんです。」と称賛されたのだった。それ以来、「歩くこと」
の効果を確信したわけだ。

2010年10月18日(月)
逆コース

 に滋賀県大津の三井寺から京都の山科へ抜けるルート「小関越え」
を歩いたが、17日の日曜日、その逆コース(山科から三井寺へ)を歩いてみ
ることにした。風景は頭に入っているので大丈夫だろうと、山科駅からスタート
した。疎水べりの道を歩くと天気も良く、とても気持ちがいい。疎水に沿った道
からはずれて追分付近から少しずつ山へ入っていく。

 やがて、以前オフロードバイクに乗った集団に遭遇したあたりにつく。ここから
は完全な山道だ。林道を歩いていくうちに「あれっ?前こんなとこ通った?」とい
う疑問がわいてきた。どうも違うような気がするのだ。ただ、比較的ちゃんとした
林道なのでこのまま行っても近いところに出るだろうと思い、どんどん歩いて行
った。いくつか分かれ道があり、行ってみてはあきらかに狭くなってきたり行き止
まりだったりして、元の分かれ道に戻るというようなことを繰り返す。時間をみた
らもう午後3時半くらいになっている。
 薄暗い谷間に道に入り込んだ時はだんだん不安になってきた。山で迷うという
のはこういうことなんだな・・・とその怖さが少しわかった気がした。まだ来た道を
覚えているうちに、始めのバイクに合った地点まで戻ることにした。妻が「なんか
前は、急な坂道を下って段々をおりたらこの林道にでたような気がする」とうろ覚
えの記憶を思い出した。戻りながらその「急坂」を探すことに。
 どんどん戻って20分も歩くと、道の横に木で半分隠れた看板を見つけた。「三
井寺を経て浜大津方面」と書いてあるではないか・・。『ここだ!前、ここから出て
きたんだ!』と心の中で叫んだ。確かにその道は段々の丸太の階段が数段あり、
かなり急な坂になっている。

 そこからはわかっている道なので、安心して歩き、無事三井寺にたどりつくこと
ができた。迷ってロスしたのは1時間くらいだったが山道なので行ったり戻ったり
するたびにアップダウンがあり、けっこう体力を消耗する。「コースを逆に行く」とい
うのは、通った道だからと安易に考えがちだが、風景なんて覚えていないもんだな
あ・・・とつくづく思いしらされた1日だった。


疏水べりの静かな道。ここを歩いている時は後で山でヘトヘトになるなんて思いもしていなかった・・。
 

Mtoys日記

毎日は書けないけど、、ひごろ考えていることを垣間見てもらえたらいいかな
と思います。