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2011年4月4日(月)
4月になった

 4月になった。杉の花粉もだいぶピークをすぎて少なくなって
きたようだ。先週の日曜日は午後から少し近所を歩く。桃山城の
桜が3分咲きくらいで(ソメイヨシノは3分咲き、しだれ桜は8分咲き
くらいの感じだった。)きれいだった。
 この4月から次男も大学生、長男は就職2年目に入る。被災地には
そんな新しい出発の道を断たれたり、被災のハンディーを背負いながら
新年度を迎える子たちがたくさんいる。うちの息子たちも、そういう
同年代がたくさんいることをニュースなどで知ることで、きっとなにかを
感じていることと思う。


 原発の不安は続いている。ひどく損傷したらしたで放射線量が高くて
修理したくても近づけない、それで事態は悪化する。そういう悪循環をもともとかかえた
ものなんだということが今回よくわかった。本当にやっかいな代物だ。
これを「絶対安全」と言い張って推進してきた電力会社や関係機関、政府
にあらためて大きな怒りを禁じえない。もちろんそういう原発への疑問は
ずいぶん前から自分自身も持っていたし、反原発についての書籍なども
読んでいたはずだった。でも、年月を経るうちに自分の感覚も劣化していた
ように思う。「安全が守られるなら仕方ないのかも」というあきらめに似た気持ち
で暗黙に認めてきたような気がする。今回、そんな「居眠り」状態から強制的
に揺り起こされた。皆が原発のこと、代替エネルギーのことなどを自分の
問題として考えざるを得ないところに放り出されたのだ。

2011年3月22日(火)
1週間の間に

 い1週間だった。福島原発の状況が気になって仕方が無く
最近になって少し収まるきざしが見えてきたことで、すこし平常心
を取り戻せた。地震の被害、そして原発の危機、こうしたつらい事態を
乗り越えていく中で、今までとは違う強さと優しさを持った国へと
生まれ変わることができるだろうか・・。いや、そうでなかったらこの震災で
亡くなられた方々、被災者の方々の今現在の苦労は報われない。
 そういう意味でも、関西の我々はちゃんと考え、働いていかないと・・。

 雑誌の取材があった。手持ちの作品の紹介に加えて、6年前に
京都市の北区にある幼稚園に作りつけで作った「壁づけ玩具」も紹介
していただいた。メンテナンスも兼ねて幼稚園へ行き、園児さんがふだん
通り遊んでいる光景をカメラマンが撮影。(この雑誌「大人組」はまた
私の記事の載った号が発刊されたら紹介したいと思う。)
この壁玩具もずいぶん日光に焼け、屋根の下とはいえ雨風にもさらされた
ので、対候性の塗料で塗装を施していただいた。



壁玩具「おもちゃのかべ」で遊ぶ園児さんたち

2011年3月14日(月)
二日間の特別ワークショップ

 3月12日〜13日は、大阪・堺市の大型児童館「ビッグバン」にて
作家5人による特別ワークショップを開催した。はからずも前日の
3月11日、東日本の大地震が起こり、未曾有の被害に、打ちのめされた
気持ちをかかえたままその日を迎えた。『こういう時におもちゃ教室
なんかしていていいんだろうか?』そんな思いも何度もよぎった。実際
イベントをやるテンションに自分の気持ちを持っていくのがしんどかった。
ただ、逆に『こういう時だからこそ、被災しなかった地域の者はがんばって
はたらかなきゃいけないし、子どもに楽しみを与えるおもちゃ教室なら
なおさらやるべきなのでは・・』と自分を奮いたたせた。

ビッグバンの「こども劇場」を使っての特別ワークショップ

 おもちゃ教室に参加してくださった方々はやはり予想通り少なかった。
震災の微妙な影響があっただろうし、実際に親戚、縁者などが被災された
方もあるはずなのででかける人も少なくなったのだろう。
 そんな中で作家5人は、参加してくださった親子にせいいっぱいおもちゃ作りの
指導をさせていただいた。作った方は皆喜んで帰っていかれた。その笑顔を
みると「やってよかったな」と思えた。

販売コーナー

 今回は販売コーナーも設置して、我々のおもちゃの販売もおこなった。
作家仲間Hさんのパズルをずっとやっていた女の子は、だんだんと頭に血が
のぼって、「できるまで帰らない!」とお母さんを困らせていた。結局お母さんが
「じゃ、買って帰っておうちでやろう?」とやわらかくなだめ、パズルを持ったまま
帰っていった。その後、今度は同じパズルを中年男性がいじりはじめ、だんだん
とはまっていくのがわかる。やがてあの女の子と同じように「買って帰ります!」と
未完成のパズルをかかえて帰っていかれた。「意地になる」と年齢なんて関係
ないんだな・・・とほほえましかった。

 今回の地震とそれにともなう津波による甚大な被害に胸がはりさけそうな気持ちになる。
しかも福島の原発が憂慮すべき状態に陥っていることが時限爆弾のように不安をつのらせる。
節電やできうる支援などに協力しつつ、自分たちの場でがんばるしかないのだろうか・・。
新たな困難な歴史のページがめくられたように思う。乗り切ることができると信じたい・・。


2011年3月6日(日)
いつのまにか3月

 の日記も、書くのをサボッているうちに3月になってしまった。

 先日、新聞の取材を受けた。地元の京都新聞だ。アトリエに訪ね
てこられたその記者さん、聞いてみると偶然うちから歩いて20分
くらいの範囲に住んでいる方だった。(下はその記事)
妻が勤めている保育園で、かなりの人から「ご主人載ってはったね」と
いわれたそう。京都新聞ってやっぱり京都では採っている人が多い
んだな・・・と再認識。




 来週の土日は、大阪・堺市のビッグバンでおもちゃ作家グループ
によるワークショップを二日間にわたって開催する。その準備、そ
してたくさんの注文品の制作など、今年はバタバタと忙しい。
 そんな中、先週は桃山御陵から桃山城、先々週は琵琶湖のなぎさ
公園と、比較的近場だが歩きには行っている。かなり暖かくなってき
たのでそろそろ車のタイヤも夏タイヤに変えようかな・・。


なぎさ公園                                  桃山城ではもう梅の花が・・

2011年2月19日(土)
ビッグバンで

 い1日だった(お天気はよかったけど)。そんな土曜日の今日、大阪・堺市の
大型児童館「ビッグバン」でおもちゃ教室をおこなった。インフォメーションのページ
で紹介しているようにおもちゃ作家のグループ「エトセトラ」とその仲間で「関西おもちゃ
作家展」を開催しているので、その一環としてのおもちゃ教室だ。午前と午後の2回、
たくさんの親子連れに「ゆらゆらロボット」を作っていただいた。




 
おもちゃ展のほうは、毎日たくさんのこどもたちに遊んでいただいているので
こわれるものや一部紛失したものもでている。ついでに痛んだおもちゃの修理も
して帰った。職員の方のお話によると、遠足など、集団で来られた参観の時に
荒っぽい遊び方をされる場合が多いとのこと。「集団心理」というのか、普段以上
にテンションがあがってしまうというのか、そういうことらしい。じっくりと遊んでほしいな
というこちらの思いがうまく伝わらないもどかしさはある。
まあ、自分自身の子ども時代を思い返しても同様の気分が合ったように思うので、
無理もないなという気持ちもあるが・・・。

 あとは、ああいった大きな施設の場合、どうしても走り回って遊んでいる途中で展示
を見ることになるので、「じっくり遊ぶ」落ち着いたテンションにクールダウンしないまま
おもちゃを触ることになることが多い。そういう「弊害」も少しあるようにおもうのだが・・・。

 でも、「たたく」とか「飛ばす」とかの遊びの多い私のおもちゃの場合、そういう「乱暴な扱い」
というリスクは常についてまわるので、できるだけ遊び方を間違えないようなデザインと堅牢さを
作品に持たせる改良はしておきたいと思っている。そういう意味でもこういう展示会はいい勉強の
場になる。

 エントランスにある大型の「飛んでキャッチ」で遊ぶ子がいるとついつい見てしまう。うまく成功して
ピタッとくっつくと思わず一緒に拍手してしまう。作品がこわれたり痛んだりすることへの心配も、
こんな時の子供たちの笑顔でスーっと解消されてしまうから不思議だ。

2011年2月15日(火)
姫路にて

 は雪。いったん暖かくなっていたのに、また寒くなった。

 そんな時期の12日〜13日は、おもちゃ作家のグループ「エトセトラ」
の親睦会で姫路・夢前(ゆめさき)の温泉へ。食事前に風呂へ行くと誰も
いなくて、露天風呂も独り占めだった。温泉にそれほど関心のない私だ
けど、気持ちいいのは誰しも同じ。
 夕食後、作品の交換や、ワークショップ用のおもちゃを作ってみたりして
少し「研修会」ふうになる。でもそのあと旅館にあった卓球台で卓球大会で
盛り上がった。

 次の日、宿を出て、私が何年か前におもちゃ教室の講師に招いていただいた
ことのある「ヤマサ蒲鉾」のPR施設「夢鮮館」に立ち寄る。蒲鉾のお土産を
皆で購入。その後、同じ姫路の香寺町というところにある「日本玩具博物館」へ
と向かった。
 日本玩具博物館の井上館長は、20数年前の日本おもちゃ会議発足時には
作家たちにまじって運営に尽力されたこともあり、古いおつきあいだ。ただ、
井上館長がおもちゃ会議を抜けられて博物館のほうに専念されてからは、もう
10何年とお会いしていなかった。そんな中で、急に訪ねた我々を井上館長は
ご夫婦で暖かく迎えてくださり、館内を案内していただいたり、お昼までごちそう
になってすっかりお世話になった。
 おもちゃやこどもの遊びについて情熱を傾けてきた井上館長は、ぶれることなく信念を
貫いてこられたので、おもちゃ作家をまがりなりにも続けてきた我々といずれこうして
再会する運命になっていたんだなあ・・と感慨深かった。


 博物館の展示の中にあった海外のおもちゃでは日本に商品として入って
きていないものもあり、とても興味深かった。館長が展示台の下を開けて展示品以外の
ものを取り出してみせてくれる時にその横に見慣れた箱が・・。同行のWさんが「あっ
あれ松島さんがデザインしたおもちゃ」と発見してくれた。イタリア・レシオ社から製品化
した「スポーラ」の箱だったのだ。ご無沙汰していても、こうして自分の作品がいつのまにか
収蔵していただいているのを知ってうれしかった。

 
日本玩具博物館の入口。                                    館内のようす

 今日、月曜日は雪が降り続いて積っているが、土日は天候に恵まれ、特に日曜日は
姫路はいいお天気だったのもラッキーだった。膨大な収蔵品を持つこの日本玩具博物
館にぜひ一度は行ってみられることをお勧めする。


2011年2月1日(火)
1月最後の土日は

 月29日の土曜日は、大阪の千里中央でおもちゃ教室。よみうり文化センター千里中央での講座だ。
今回の題材は「レジスター」。お買いものごっこに使えるおもちゃで、バーコードを読むものも付いている。
親子でご参加いただいたが、お父さんと娘という組み合わせも何組かあった。この日の光景ではないんだけど
時に、お父さんが娘に「気をつかっている」感じがうかがえる場面があってほほえましい。どうも、「自分がやった
ことで娘に機嫌を悪くされたら困る・・」という感じが漂っていて、ことあるごとに「どうする?」と娘にお伺いを
たてているお父さんも時々いるのだ。
 私は息子二人なので、娘という存在がわからないのだが、そんな感じのお父さんを見ると、ちょっぴり『めん
どくさそう・・・』(すみません・・)と思ったりしてしまう。息子の場合だったら単純なので、「こここうしょうか?」
「うん」という感じですんなりと進む場合が多いので楽は楽なのだ。
 もちろん、人それぞれなので、そういう固定観念を持って見るのは危険でもあるが・・・。



 30日の日曜日は、京都市岡崎のみやこメッセで京都市の保育園の合同絵画展を妻が見に行くので同行。
毎年、この絵画展でこどもの絵を見る。こどもの絵ってやっぱりすごい。
 もちろん何をもって「すごい」と思うかが大事だ。展覧会を意識して形を描かせている「大人の手出し、口出し」が
感じられるものでも「うまい」とか「すごい」とかいう評価をされる場合もある。あるいは、その時こどもが受けた感動
をそのまま表現している絵に、明らかに後で「背景を描こうね」とかいうふうに保育者が感動の薄れた後日に
こどもに「足して」描かせて、「作品」としてのインパクトや厚みを無理につけているように感じられるものもある。
 結局、帰りに妻と話して出た結論は、「大人が選ぶこういう展覧会があるから、評価を気にして『いい絵』を描かせ
ようとするおかしな指導がでてきてしまうのかな。選ぶからあかんのかもしれんな」ということだった。

Mtoys日記

毎日は書けないけど、、ひごろ考えていることを垣間見てもらえたらいいかな
と思います。