Mtoys日記       
<< | 次のページ>>前のページ | 
2017年2月26日(日)
歴戦の勇士

 先日、私のおもちゃを常設でプレイコーナー展開して
いただいているテーマパーク「おもちゃ王国」さんより、
追加の注文をいただいた際、展示品の「飛んでキャッチ」
の画像が届いた。(現在、岡山、南知多、軽井沢と3か所
のおもちゃ王国にMtoysのおもちゃがある)


 『こんなになってしまうんだ・・・』という驚きは、や
がて『たくさんのこどもたちが、おそらく何万回も遊んで
くれた証なんだ・・』と感動的な思いに変わっていく。ま
るで鍾乳洞の鍾乳石が長年のしずくで穴が開いていくのに
似た摩耗。
 長い間たたいたり激しく遊んでいただいても壊れないよ
うな製品にはしているのだが、木でできたものだけに、集団
で毎日使用される場合の摩耗はどうしても進行する。(もち
ろんよほどの回数をたたかれるような状況でないとそうそう
は摩耗しないけれど)
 Mtoysのおもちゃは、ほとんどがたたいたり飛ばしたりす
るものだけに長年使い込まれたものをたまに拝見したりする
と「歴戦の勇士」みたいなものばかりで、へこみだらけキズ
だらけ、黒ずみだらけ・・というものも多い。
 ただ、個人的にはそれらを見て、汚くなったとは思えない。
なんか誇らしげに見えてくるのは作者の思い入れに過ぎない
のかもしれないが。

 

2017年2月4日(土)
太陽の蓋

 しぶりの映画。といっても普通のロードショーでは
なく自主上映会。3.11の福島原発事故を描いた「太陽の
蓋」という映画だ。事故当時の官邸の動き、現地の1F(イ
チエフ福島原発の呼称)の動き、被災家族などが、北村有起
哉さん扮する記者の格闘を通して描かれる。当時の民主党政
権の菅首相、政府高官だった枝野氏、福山氏などが実名で
登場するのも画期的なところ。(それぞれ役者さんが扮して
いるのだが、ちなみに菅首相には三田村邦彦さんが扮してい
る)

 会場は、京都市の北部にある京都精華大学キャンパス。
出町柳駅から叡電の鞍馬行に乗る。「京都精華大前」という
駅があるのだが、天気がよかったので一つ前の「木野」とい
う駅で降りて歩く。
 大学に入り、上映会がある大講堂のようなところへ。けっ
こうたくさんの人が集まっている。(高齢の方多し。でも若
い人もけっこういた。200人くらいは集まっていた。)
 映画は、原発の収束をかけた「ベント」「海水注入」などの
ぎりぎりの攻防が緊迫感を持って描かれる。東京電力(映画中
では「東日電力」と変えてあった。)中枢や保安院の無責任さ
も露呈されている。(原発現場の命がけの奮闘も一方で描かれ
てはいる。)
 いろいろと議論もあるとは思うが、事故処理や情報の出し方
などにおいてまだ民主党政権であって救われた面はあるように
思う。自民党政権だったなら・・・・と思うとゾッとするもの
がある。
 映画の後の座談会にはなんと菅元首相、官房長官補佐だった
福山哲郎氏が登場。映画のプロデューサー橘氏、精華大教授で
反原発の活動もする細川氏を加えた4名のお話が聞けた。
 質疑応答の時間に福島から自主避難されている方が「民主
党政権でまだましだったのかもしれないが、野田首相になった
とき、終息宣言をだして再稼働の引き金を引いたのはおかしい
と思う。」との意見。これに対し、菅氏、福山氏も「個人的に
は」と前置きしつつ「終息という言葉は問題だと思う。」と語
っていた。お二方は原発を0にしていくことに尽力すると明言
されたが、民進党内でも原発への姿勢にグラデーションがある
のは事実。いや自民党内でも小泉元首相のように反原発を明確
にして活動されている方もいるくらいなので、いわゆる「保守」
とか「革新」とかの旧来の枠組みを越えた課題として横たわって
いるのだろう。

 
 福島からの自主避難者の方が「オリンピックにむけて安倍政権
下で、どんどん『済んだこと』『終わったこと』のように帰還事
業が早められ、様々な検査なども簡素化されようとしている。」
と危機感を表明されていた。現実には、先ごろ福島原発の2号機
内のメルトダウンした跡の画像が報道された。1分もいれば人間
が死ぬ放射線量だという。つまり、事故直後から「蓋」をして冷
やし続けているだけであり、なにも終わっていないのだ。

2017年1月17日(火)
わづかのおもちゃ

 
ンフレットができた。去年からデザインや試作を
依頼されている京都府の和束町の木のおもちゃプロジ
ェクトのもの。カラー14ページで、文章は和束町雇用
促進協議会の女性スタッフ、絵は和束町に移住してきた
仏師さんの奥さん。やわらかい感じのイラストが、いい
感じで、わかりやすく木のおもちゃプロジェクトの意義
を伝えている。
 お茶の産地である和束町であるが、森林資源もある。
ただ、それを活用する林業が衰退してしまっている。こ
こ何年か、林業の復興と木材の活用、木製品の製造など
がサイクルとなって持続可能な循環を生み出すことをめ
ざして様々な取り組みがなされてきた。最近では、「自
伐型林業」を提唱する中島氏を講師に呼んでその実践を
模索したりもされている。
 木のおもちゃプロジェクトも、そうしたサイクルのひ
とつの出口として、ゆくゆくは地場産業化することも目
標としてはある。私は、そうした製品をデザインしプレ
ゼンテーションすることを依頼されている。
現在は比較的ハードルの低い「木のおもちゃキット」を
5種ほど提案し、近隣の子どもたちや観光客なども含め
たワークショップの題材としての活用、キット商品とし
て販売することなどをめざしている。
 このパンフレットはそのための啓蒙用に使われる。雇
用促進協議会のプロジェクトなので、今は「提案」だけ
の段階。今後、これが雇用を生み出したり、商品化され
たりするにはまだいくつかのハードルを越えていかない
といけないようだ。
 


2017年1月10日(火)
真田丸ゆかりの地、散策

 河ドラマの「真田丸」は見ていなかったのだが
なぜか真田丸ゆかりの地を歩いてみることにした。
雨の日曜日(8日)、大阪地下鉄谷町4丁目駅を降り
難波宮跡の広大な広場を横に見ながら歩く。大きな
カトリック教会が見えたら南に曲がり、しばらく行くと
三光神社に着く。ここは大阪城の出城である真田丸
の端にあたる場所だそうで、「真田の抜け穴」と呼ば
れる穴も残っている。あいにくの雨にも関わらず観光
客らしき人が何人もいた。

三光神社にある「真田の抜け穴」なぜか合戦場のようなセットが作られていた

 ここから西に上町台地を上るように歩いていくと、
谷町6丁目あたり。私はこのあたりで、生まれてから小
学校4年生まで過ごした。いわば「ふるさと」のような場所。
このあたりは台地なので坂が多く「どんどろ坂」「清水
坂」「口縄坂」などの名前がついた坂がいろいろある。
 通った小学校(桃谷小学校)はもうなくなっていて、
跡地に碑がつくられ、二宮金次郎像だけが残されていた。
住んでいた路地は残っていたが、長屋だった家はもう
なく、角にあった医院が買い取っておおきなクリニックに
なっていた。この医院の息子が私より2〜3歳年上の
やんちゃ坊主で、私もよく遊んだ。今は院長先生になって
いるんだろうな・・。年齢差が違う近所の子どもどうしが
仲良く遊んだ時代だった。東京オリンピックの時、近くの
大通りである上町筋に聖火ランナーが走るというので、小
学校から日の丸の小旗を持たされ、沿道に立って振った記憶
がある。聖火のオレンジ色を強烈に覚えている。「ALWAYS三
丁目の夕陽」そのまんまの時代だった。

 お昼になり、近くの「空堀商店街」のうどん屋さんに。
比較的最近できたっぽい店だが、出汁や素材にこだわってい
てとてもおいしかった。このあたりは、古い町家を改装して
おしゃれなカフェや飲食店、雑貨屋などがあり、若い人がけ
っこう住みついている。(私のいとこもちょっと離れた玉造
というところでカフェをやっているのだが・・)

空堀商店街の「きぬ川」さんのうどんは絶品

 昼食後、子どものころよく遊んだ高津神社や生國魂神社
などに寄りながら四天王寺まで歩いた。さすがに体が冷えて
はやく暖かいところで休みたくなった。だが、天王寺はアベノ
ハルカスやQ'Zモール、HOOPなどショッピングモールがたく
さんできて人出もいっぱい。どこの店もいっぱいでなかなか
お茶する店がみつからない。モールを出て、通りにある少し
レトロな喫茶店にやっと席があって、ほっと一息。たぶん高
校生くらいのときに入ったことのある店だった。(大学生まで
ずっと大阪だったので)
 真田丸散歩というより、自分のルーツ散歩みたいな感じに
なった。大阪の中心部でありながら、古い町並みも少し残る
「いい感じ」な街になっていて、また住みたいなあ・・・とも
思ったが、やっぱり自然が無いのは寂しいかな。

2017年1月5日(木)
謹賀新年

 けましておめでとうございます。
昨年末は、12月30日まで仕事。それでも年内予定のものが
完成しきれなくて、今年に持ち越している。


 
出荷を待つおもちゃたち
 
 昨年はどんな年だったんだろう?とにかく、受注品をこなすのに
追われていたことは確かだ。遅れてばかりでずいぶんご迷惑をおかけ
している。今年はいかに能率をアップするかということと、外注でき
るものを増やすことも視野に入れなくてはなるまい。
 
 12月31日に長男夫婦が名古屋から帰ってきた。いつものカニ料
理屋で次男も入って5人で会食。長男夫婦は今回は1泊のみで、元日
には帰っていった。翌2日に大阪の妻の実家へ。次男に運転をまかせて
私は助手席。3日は、奈良に住む私の妹一家がうちに来て歓談。まあ
いつも正月はこんな感じで過ぎていく。4日はまだ妻も休みだったので
滋賀県の大津にある三井寺へ。京都の山科から疎水べりを歩き、四宮
から山道に入る。いわゆる小関越えというルート。山道はやがて三井寺
の裏山に入り、境内が現れる。見晴らしが良く、琵琶湖が見渡せる。


 三井寺を出て、少し歩くと京阪浜大津駅。100mほど行けば
琵琶湖に出る。そこは観光船「ミシガン」や「ビアンカ」などが
出港する港になっている。待合室にある喫茶店でコーヒーを飲み
ながらのんびりと船が出港する様子を見ていると、空に虹が出て
いた。これは正月から縁起がいいなと妻と喜んでシャッターを切
ったが、スマホのカメラにはうまく写ってくれなかった。でも見
れたことには変わりがないのでなんか気分が良かった。